笠間藩(かさまはん)茨城県 出身
「 装津直吉 」
幕末志士 〜赤色の章〜

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名 前:

装津直吉

生没年: 享年81歳
出 身: 笠間藩(かさまはん)茨城県
肩書き: 医者・座頭
関 連: 「桜田門外の変」「朔平門外の変」
関 系:  沖田総司 クラーク
逸 話: その暗殺剣術の能力は肥後藩の河上彦斎を凌ぐと、幕末期の京都では噂されていた「装津直吉」はエレキベースを開発したといわれていた、発明家だった。桜田門外の変の約8年後、長州藩の高杉晋作と酒を飲むと口癖のように「おれ、ペリー派だわぁ〜」と言っていたそうだ。
言 葉: ふっモグリなやつだ。人の一生には、良きタイミングと悪いタイミングがある。

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